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環境ビジネス情報

環境ビジネスで働く人に聞く!

 大切なのは「継続すること」

Eurofins Analytics株式会社
アナリティカルマネージメントサービス
アナリティカルサービスマネージャー
近江 拓一郎さん

食品分析においては世界最大の食品検査機関、Eurofins(ユーロフィン)グループ。創業当初はワインに添加された糖分を最新技術で検出する事から始まった同グループは、今や様々な国に研究所を持つまでに成長し、日本ではこの度の原発事故の支援として、利益なしで放射性物質検査を行っています。
今回はこのEurofins Analytics株式会社で放射能検査を担当する、近江拓一郎さんにお話をお伺いしました。

Q.まずは卒業学校での専攻分野についてお聞かせください。

近江 拓一郎さん 大学は早稲田大学の理工学部で、化学科専攻でした。今は名前が変わっていて、先進理工学部になっているようですが、私のいた頃は「理工学部化学科」でした。大学院も同じ早稲田の理工学部です。私が専攻していたのは「励起状態化学」というもので、光と分子の相互作用を研究していました。赤外線、紫外線などを分子に当て、どのような挙動を示すか、どういった分子構造を取っているかの研究ですね。基本的には分光学的なことと質量スペクトルの組み合わせのような実験になります。

Q.大学での学部や研究内容は、何か理由があって選択されたのでしょうか?

大学4年次は量子化学系の研究室に所属していたのですが、その研究室の教授が退官されることになり、研究室を変更しなければならなかったのです。その時、新しく来られた別の教授の専門が励起状態化学に関するもので、実験と理論を半々ぐらいで研究を進めるものだったことと、「新しく研究室を立ち上げるのだから、何でもやらなければいけない」と言われ、それが面白そうで、何でもやってやろう!と思ったこともあり、大学院ではその新しい教授の研究室を選択しました。そこでは、何もない研究室に設備を整えるため、朝昼は実験器具を工房で自作、夜は論文を読み実験に耽るといった、研究に没頭する日が続きました。

Q.大学で学んだことは、最初の飲料会社(A社)での仕事に役立ちましたか?

A社に入社した当時、上司から言われたのは、製品開発チームか、新設される微生物の研究室、同じく新設される分析室のどこかを選択することでした。製品開発チームは先輩や上司のもとで、仕事内容を教えてもらえる環境だったのですが、新設される2部門は完全に1人で立ち上げ、室長を務めなければいけないということでした。当時研究職で入社したもう1人の新入社員は1人でやることに抵抗を感じたらしく、製品開発チームを選択しましたが、私はまた「何でもやれる環境」に惹かれ、分析室の所属を申し出たのです。

分析部門を新規で立ち上げるには、やはり分析機械の仕組みや基礎は理解しておかなければなりません。これに関しては大学で多くの機器を取り扱った事が役立ちました。しかし分析実務においては、大学でやった内容も少しはありましたが、会社で必要とされたのはさまざまな飲料だけではなく原料となる香料や粉体の前処理などがあったため、会社に入ってからは猛勉強の毎日でした。周りに教えてくれる人などもなく、また当時(※90年代中頃)はインターネットもそれほど整っていなかったこともあり、本などで調べての勉強でした。ただ、大きい会社ならではの自由さもあり、「これぐらいの期間でこれをやれる様にしてくれ」という仕事のやり方に助けられていた部分もありました。

この頃は毎日1時ぐらいまで働いていました。でもタクシー代などは会社が出してくれていたのです。おかげで大学院時代のように泊り込みということはなかったため、きついという印象はあまりなかったですね。

Q.5年間の分析室長の後、コーヒー製品開発チームに異動となったのは、希望したことだったのですか?

いえ、特に希望したわけではありませんでした。実は当時コーヒー飲料は、ほとんど日本でしか販売されていないジャンルのものでした。当時他のアジアの国々でも販売しようという動きがあったものの、その際コーヒー製品開発チームには英語が得意な人がいなかったのです。私もその頃TOEICでいうと700点程度で、そんなに英語ができるわけではなかったのですが、開発チームの他の方よりは英語の読み書きができるということで、開発チームへの異動となりました。しかしながらアジア進出の試みも、食品衛生に関する法律の違いなどがあり、また社内手続き上難しい面もあり上手くいかず、2年間で私は分析室に戻ることになりました。

製品開発チームに所属している間に、分析室は品質管理部と研究開発部の分析部門が統合されており、業務内容も変わり人数も15人ほどに増え、そこで副室長として3年間、勤務しました。

Q.次の会社(B社)をお選びになったのは、何か理由があったのでしょうか?

近江 拓一郎さん 本来であれば会社を辞める前に次の就職先を探すのが良かったのだと思いますが、私は会社にお世話になっている状態で転職先を探すのは気が進みませんでした。結局2006年の3月末に退職してから、分析関係の仕事を扱っている人材紹介会社に登録し、5~6社に応募、3社ほどに面接した結果、6月中旬に次の仕事が決定しました。

この時応募先を選んだ基準としては、日本的な企業の感覚が肌に合わないと感じていたため、主に外資系の企業に応募していました。何かを指示されてやるのではなく、自発的に仕事を進めることができる社風がよいと思っていたからです。前職とは違う業界ではありましたが、分析の原理や品質保証についての考え方などに違いはそうないため、前職の経験はそのまま活かすことができました。

Q.B社を退職されたのは、何か理由があったのでしょうか?

B社には1年ほどしかいなかったのですが、私が退職した後に社長が懲戒解雇になるというほど、とんでもない人だったのです。私は試験課の課長だったのですが、品質上ダメなものがあれば、それを除く必要がありました。私が辞めた当時、社長は製造部長を兼任しており、不良品に対し見て見ぬ振りをするよう私に強要してきた事が退職の理由です。不正に加担することは、性格上できませんでした。

この会社を辞める時は、前回の就職活動の反省から次の就職先を探してから辞めた方がよいと考えていて、転職活動の結果、早々に次の仕事が決まっていました。しかし、その会社に入社する直前に、事故で右足を複雑骨折してしまったのです。 新しく入社する会社に掛け合ってみたのですが、やはり入社してすぐに通院やリハビリのために休暇を取ることは理解が得られず、結局退職することになってしまいました。

さらに、右足の骨折が治りきる前に別の病気を併発し、それが根治しづらい難病だったのです。一時期は歩けないほどだったのですが、1年半掛かって自分に合う治療法を発見できたため、約1年のリハビリを経て、骨折から3年後にはほとんど完治しました。

Q.次の転職活動には、何か希望する条件がありましたか?

近江 拓一郎さん この闘病生活の間、色々な方が頑張っているのを目にしました。よくテレビなどで聞く、「色々な人に元気や勇気を与えられれば」といったセリフに、以前は「クサい事言ってるな」と思うこともありましたが、それが真実なこともあるな、自分が間違っていたなと思うようになったのです。

自分に余裕がない時はそういう事に気が付きにくかったのかもしれません。何もない状態になると、意外と人の話を素直に聞けるようになったようで、「頑張んなきゃいけないな」と。

以前は仕事に対して今となって考えて見るとつまらないこだわりが色々あったのですが、3年間の生活を経た後は、何でもいいから自分の力を活かして社会に貢献できることの方がいい、と思うようになりました。

また、インターネットで毎日海外のニュースを見る習慣がついており、英語能力が少しですが向上していたため、それも活かしたいと思ったことから、海外就職の道も考えていました。

Q.近江さんは常に前向きな姿勢をとるよう心がけてらっしゃるように思いますが、今の会社には、そんな前向きさを発揮できる可能性を感じたのでしょうか?

外資系的な雰囲気もそうですが、ユーロフィングループのウェブサイトには、仕事にあたっては「情熱を持つこと」と「誠実さを持つこと」と書いてあります。前職を退職した理由が不誠実さを求められたことだったこともあり、「誠実に仕事ができる」会社であることは面接時の社長からも感じられ、好感触でした。また私にブランクがあったにもかかわらず、それをものともせず採用を決定した社長の決断力と、入社後に目にするスピード感あふれる仕事ぶりには常に良い刺激を受けています。

ユーロフィンでは、ISO17025を遵守していることもあり、社内で筋の通らないことが行われていることもなく、大変に充実して仕事ができています。

Q.今の仕事で、楽しさや辛さを実感することはありますか?

近江 拓一郎さん まだ始まったばかりの部門(※放射能検査)で、電話での受付から報告書の作成など「何でもやっている」状態なので、今はまだゆったりと物事を考える余裕がないのが実情です。個人的には何でもできる状態を楽しいと思える性格なのでよいのですが、よくない事が重なったりしたとき、1人で仕事を進めている分、サポートが得られないことを辛いと思うことはあります。そんなときは、一気に解決までいかずとも、1ミリでも2ミリでも、目標に近付けるよう何かをし続けないといけないのかな、と思います。

Q.今、貴社では放射性物質分析・検査サービスを開始し、その全利益を東日本大震災の義援金として寄付するという取組みをされていますね。

はい。このサービスでは利益ゼロで放射性物質の分析・検査を行います。これはブリュッセル本社の会長が発案したものです。会長が「今後日本では色々なものの放射能検査が必要とされるであろうことから、早めに分析・検査のできるラボを作るべき。しかし人の不幸につけこむ様なビジネスは絶対にしない」と言って始めたものなのです。社員としては、非常にやる気が出ますね。利益の一部、というのはよくありますが、全額というのはなかなか聞かないですから。

Q.放射性物質分析・検査サービスでは、クライアントから感謝の声を聞くことはありますか?

はい。個人のお客様もいらっしゃいますので、放射線量が少なくて安心したとか、丁寧に検査していただきありがとうございます、という声はよく聞きます。でも、一部のお客様からは理解を得られにくいこともあります。他社では50~100ベクレル(※乳幼児の許容値に等しい)あたりを下限に計測しているのに対し、当社では結構低く、3ベクレル程度まで放射線量を測ってご報告しているのです。そうすると他社では「検出されなかった」となるものが、当社では「検出された」とご報告する事になるからです。

Q.今の会社で、こういった事がしたい、などの希望はありますか?

通常の食品分析などでは検体を海外のグループラボに送っているのですが、通関で荷物が止められることなどがあるなど、納期がギリギリになってしまう事があります。あくまで希望ですが、お引き合いの多い分析項目に関しては、今後は国内でも実験室を拡張し、分析・検査ができるようになっていけばいいなと思います。

Q.最後に、環境や社会に貢献できる仕事を目指している方々へ、何か一言アドバイスをお願いします。

1日15分でもよいので毎日自分のための勉強の時間を作っていくことが重要だと思います。私の場合は「英語を聞くこと」ですが、確かにこの程度で(※ TOEICなどの)点が上がる上がらない、スキルが伸びる伸びない、には関係ないのかもしれません。しかしどんなことでもゼロの日を作らず「継続していくこと」がとても重要なのかなと思います。1日でもゼロの日を作ってしまうと、次の日も何かと言い訳をして結局やること自体を止めてしまうことになりがちだからです。

あとは、ここまでお話させていただいたとおり私自身綱渡りのような人生ですが、そんな中でも何事も前向きにいくことが大事に思います。もうダメだと思うことも日々多いと思いますが、それは言葉にしない方がよいのではないかと思います。新しい第一歩は意外といつからでも踏み出せるものです。

貴重なお話をいただき、ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。