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環境ビジネス情報

特集コラム ~サステナビリティとキャリア~

2020年、世界からのお客様に
胸を張って東京をお見せするために

東京都 都市整備局 市街地整備部 指導担当課長
一般社団法人土木技術者女性の会 事務局長
松本 香澄 課長

インタビュー キャリア 資格・勉強

課長になられたのは、平成何年ですか?

課長昇級と市政への出向 平成17年です。そこで武蔵村山市役所に出向しました。前日まで課長補佐で、当日から課長級ですが、市役所に出向すると部長級になってしまうのです。昨日まで補佐だったのに「部長!」と呼ばれることになり、まして担当部長ではなくライン部長で、どうなることかという感じだったのですが、本当に素敵な方々に恵まれて、楽しくやらせていただきました。
その時は都市整備部だったので、あらゆる都市整備のお仕事が管轄なので、これもこれもこれも私の仕事という感じでした。自分は研究体質ではなく、物事に広く浅く関わるのが好きなタイプでしたので、そういう意味ではぴったりでしたね。市役所時代の経験がその後に、随分活きました。

業務を続ける上で必要な資格などはあるのでしょうか?

仕事を続けていながらも、本当は少し仕事を休んで子育てに専念してから仕事に復帰したいと思っていました。しかし、資格をほとんど持っていなかったので、仕事を辞めてしまったら私には何もない、と非常に焦っていた時期がありましたね。本当、技術士くらい持っていないとまずいかな?と思っています。
私達東京都の昇進試験では、土木職は技術士を持っていると土木専門の試験は免除になる制度があります。その為、技術士の資格を一生懸命取っている人が多いです。ただ、逆に専門馬鹿みたいな人が増えてしまうのも困るので、管理職試験では、面接等でちゃんと資質を見抜かなくてはならないと、職員を採用したり育成したりする立場として思います。
技術士や土木施工管理技士、コンクリート技士・・・といろいろな資格がありますから、自分にあった資格を見定めて取得している人は羨ましいですね。

課長になられて市役所に行かれてから都庁に戻ってこられたのですね。

2020年のオリンピックに向けて 都庁に戻ってからは、再開発や区画整理の事務所に配属になりました。その後採用関係の仕事もありましたが、平成20年に都市整備局に戻ってからは開発関係が続き、現在は区画整理や開発許可の仕事をしています。

今所属する部署では、自分のラインではありませんが、汐留地区や有明地区というように、東京都が事業者として区画整理をしている事業も担当しています。区画整理事業で、土地の交換分合をして高度利用を図り、まちづくりを進めていく事業です。今、電通が入っているビル等がどんどん建ちましたよね。あそこは元々JRの貨物操車場だったのですが、区画整理事業で整備された結果できた街になります。そのような事業者の立場で仕事をしていた時期が長かったのですが、現在の担当は、民間事業者の区画整理や開発に対して、指導というのはおこがましいのですが、こうした方が上手くできるよ、とアドバイスしたり、他の部署との仲介をしたり、という仕事をメインでしています。
私は、就職して最初の仕事が区画整理だったこともありますし、市役所や事務所で再開発を担当したことや、区画整理の事務所で地権者さんと直接やりとりをした経験があったことが活きて、今の仕事ができていると思います。「昨日までの自分は今日のためにある」と19歳になった息子がよく言うのですが、まったくその通りだと思っています。
2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、それぞれの事業がどういう形で2020年を迎え、どういう形で外国から東京に来る方々に、胸を張って東京をお見せすることができるか、どれだけ整えることができるか、という勝負の時期に入ってきたと思っています。

あと3年ですね。

今、自分の担当している事業の中で一番大きいのは渋谷駅周辺の開発です。実は2020年に、すべてが完成するわけではありません。西口の工事は後回しになります。ただ、東口はほぼ完成形になる予定です。今後、銀座線の駅が移動し、埼京線のホームも移動する予定で工事が始まっていますし、東急の新しい店舗も2019年にはできる予定と聞いています。2020年の夏場には外国のお客様がきて、渋谷駅から新しい国立競技場に行けるような交通ルートも考えられていると聞きます。

私の担当業務の中では、多摩地区の仕事も結構ありまして、稲城や町田あたりでも大規模な土工事があります。雨が続いたり、地震があったりすると崖地や擁壁が崩れないようにと心配しながら、事前対応を肝に銘じながら仕事をしています。

都心部の再開発と多摩の元々緑が多いところの開発をする上で、環境に対する考え方は変わったりするのですか。

「作る緑」と「護る緑」 私はその事業が何を目的としているかで緑の意味が違ってくると思っています。
例えば渋谷のように交通結節点の整備ということでは、周りの商業系土地利用をどう有効におこなうかを主眼に考えるので、どちらかというと「作る緑」のイメージですね。緑被率の考え方は最低限ありますけれど、緑の意味が違う。
一方、多摩地区では、以前から山を切り拓いて行う宅地開発が多いので、本当に良好な樹林地を開発してよいのかといつも気になるところです。住宅開発後にその住宅のイメージをどう考えるか・・・後背地に緑があることを前提として住宅の販売をするのであれば、緑地を活かした住宅デザインを考慮して設計をするでしょうし、全然そんなことを考えずに、ただただ宅地面積を確保したいということであれば、それが周辺の方々にご理解いただけるのかどうか、開発する地域だけではなく、その地元の市なりのお考えの中で開発事業を認められるのかが主眼になるかと思います。

都内の土地利用は高速道路の配置と似ている状況だと思っています。都心環状線内部にあたる都心部と、外郭環状線の内側の地域、圏央道の内側の地域では、それぞれ緑に対する意識のレベルが違うかもしれないですね。今は外環あたりの地域の生産緑地を、どのようにして残していけるものを残すかということが、局として、都として大命題になっていると思います。生産緑地の持ち主が土地を売ることになって、市役所が買えなかったら民間に土地が渡る。そうしたらそのまま畑を続ける可能性がそれほど高いわけではないので、これまでの良好な緑(農地を含む)の維持が期待できないことになる・・・。地域にとってどのくらい緑があれば住民が納得できるか、緑の残し方をどうするかということを改めて検討しなければなりません。そういう時の緑は「作る緑」だけでは許されないでしょうし、同じ緑の比率の考え方でも、ちょっと中身が違うように思いますね。今お話ししながら自分の中で区別しているなって思いました。

松本香澄様

渋谷区には明治神宮があるのですが、明治神宮は大正時代に作られた緑なんですよね。

区画整理の歴史と環境保全の実際 作った緑も50年経てば、100年経てば・・ですよね。渋谷でも品川でも今植えておけば、50年後にはそうなるって想像力が働けば・・・。

私たちが関わっている区画整理の歴史には、震災復興と戦災復興とがあって、その流れを汲んでいることになっています。関東大震災後の後藤新平の時代の震災復興で区画を整理して、何もないところはバーっと道路を計画して、という感じです。東京都の地図上に、練馬・世田谷あたりになんとなく緑がライン上に多く残っているところがあるかと思います。現在では考えられないことですが、戦後にグリーンベルトを作るという考えで、建物を建てさせない規制をしてこういう緑が残っている状態があります。当時のグリーンベルト計画をそのまま実現させるのはちょっと難しいですが、なんとかその趣旨を活かすことができないか、という仕事に関わっている仲間も同じ部の中にいます。
最近、圏央道が県域を越えて繋がったので、それぞれのインターチェンジの近くに物流拠点を作る計画がクローズアップされています。しかし、こういう緑豊かな地域ですから、新たに施設を作るということは大規模な樹木の伐採等を伴うので、どうしても本当にこの場所に物流拠点が必要なのかということを、改めて考えなくてはいけない場合もあります。現在の自分の立場は事業者ではなく、事業者の相談を受ける立場なので、一歩引いているところがありますが、市役所の方々は、地元の方のご了解をいただかないと事業も進められないという状況で、一番苦しい立場かもしれませんね。事業者や市役所の方々に対して、ご協力できるところはして、知恵やアドバイスを伝えることや、他県の事例をお伝えするなど精一杯のお手伝いしている感じですね。


松本 香澄(まつもと かすみ)
昭和63(1988)年:
  東京工業大学工学部社会工学科卒業
同年:東京都庁に入庁
  (都市計画局防災計画部市街地開発課)
平成 6(1994)年:
  主任昇格 水道局に異動
平成11(1999)年:係長昇格
平成15(2003)年:課長補佐昇格
平成17(2005)年:
  課長昇格 武蔵村山市へ出向
平成20(2008)年:東京都に復職

その後、都市整備局市街地整備部 民間まちづくり担当課長等を歴任し現在に至る

主な社外活動
(一社)土木技術者女性の会 事務局長(平成27年6月~)
土木学会 H部門論文編集委員会、継続教育実施委員会に所属
土木技術者女性の会の冊子